大阪の美術館あれこれ

五感を研ぎ澄ます…

逸翁美術館

『逸翁美術館』

逸翁美術館は、外観はモダンに造られ、趣味の広い逸翁のコレクションが収蔵、展示されています。茶道具類を中心に書道陶器絵画など五千点余りは国内はもちろん広く海外からも収集されその美術への思いが並々ならぬものと推察できます。大阪府池田市にある美術館で設置者は財団法人逸翁美術館でしたが、2011年に「財団法人阪急学園」と合併され、現在は公益財団法人・阪急文化財団が管理・運営を行っています。阪急電鉄・阪急阪神東宝グループの創業者小林一三の旧邸「雅俗山荘」を当初の展示場として1957年に開館しました。館名の「逸翁」は小林一三の雅号です。

アートの秋

『逸翁美術館』概要

日本古来の茶碗、掛け軸など「なんでも鑑定団」に出せばかなりの高値になるだろうと予想されるものばかりです。お茶室もあります。レストランもできました。池田市の誇れる数少ない施設のひとつかもしれません。収蔵品の基礎は小林一三の5000点に及ぶ個人コレクションで、重要文化財15件、重要美術品認定物件19件を含みます。特に与謝蕪村・呉春・円山四条派のコレクションは名高いです。また、旧美術館の建物も1937年に建築された住宅建築です。旧美術館の正門は現豊能町の庄屋で江戸時代後期に建設されたものを1936年に移築したものです。

  • 理事長:宮原清
  • 理事:加藤武男、小林冨佐雄、小泉信三、松永安左エ門、太田垣士郎、佐藤博夫、高碕達之助、鳥井信治郎、矢野一郎
  • 監事:廣瀬顕三、真鍋八千代

『逸翁美術館』の展示室

  • ミュージアムショップ
  • カフェ「喫茶室IAM(イアム)」
  • マグノリアホール(貸しホール);定期的にコンサートなどのイベントが実施されています。
  • 茶室;「即庵」雅俗山荘内にある茶室「即庵」を再現したものです。
  • 小林一三記念館;旧本館である小林一三記念館本館(雅俗山荘)、同館正門、同館の塀、即庵、費隠は2009年8月、国の登録有形文化財に登録されました。そのほか、茶室「人我亭」やレストラン「雅俗山荘」が併設されています。

『逸翁美術館』の沿革

  • 1957年、財団法人逸翁美術館設立、開館。
  • 1959年、大阪府より「なにわ賞」受賞。
  • 1973年、新館オープン。
  • 2008年、新美術館オープンのため4月からしばらく休館。
  • 2009年、10月に阪急学園池田文庫のとなりの用地に新築移転された新美術館がオープン。
  • 2010年、旧美術館の本館である小林一三旧邸「雅俗山荘」は「小林一三記念館」として2010年4月22日に再公開。
  • 2011年、管理法人の統合により「阪急文化財団」が管理・運営を行う。

『逸翁美術館』の主な収蔵品

主な収蔵品を下記にまとめました。他に20点の重要美術品を所蔵しています。また小林一三が鈴木華邨を評価していたため、彼の日本画をまとめて所蔵しています。

重要文化財指定品
  • 佐竹本三十六歌仙切(藤原高光)
  • 白描絵料紙金光明経 巻第二断簡(目無経)
  • 十巻抄(延慶二年覚巌奥書)
  • 芦引絵
  • 大江山絵詞 附詞書一巻
  • 豊臣秀吉像画稿 伝狩野光信筆
  • 三十三間堂通矢図屏風
  • 奥の細道画巻 与謝蕪村筆(安永八年十月款記)
  • 白梅図屏風 呉春筆
  • 花鳥蒔絵螺鈿洋櫃 付籐編み外櫃
  • 楞伽経(りょうがきょう)巻第二(天平廿年六月廿三日願俊経)
  • 雙観無量寿経 巻上(天平六年聖武天皇勅願経)
  • 寛和二年六月九日内裏歌合
  • 古筆手鑑(てかがみ)谷水帖 二十四葉
  • 継色紙(あまつかぜ)

『逸翁美術館』のアクセス

回生病院の側にあります。民家のなかにあり静かな佇まい。自動車でも行けますが池田駅から歩くのもお薦めです。

所在地
〒563-0058 大阪府池田市栄本町12-27
交通アクセス
阪急宝塚線 池田駅 徒歩10分

佐竹本三十六歌仙絵巻

逸翁美術館にある佐竹本三十六歌仙絵巻についてまとめました。佐竹本三十六歌仙絵巻(さたけぼんさんじゅうろっかせんえまき)は、藤原公任が11世紀初め頃に私撰集「三十六人撰」を撰しました。これは、『万葉集』の時代から、平安時代中期までの歌人36名の秀歌を集めて歌合形式としたもので、これら36名を後に「三十六歌仙」と称するようになりました。鎌倉時代・13世紀に制作された絵巻物。鎌倉時代の肖像画、歌仙絵を代表する作品です。元は上下2巻の巻物で、各巻に18名ずつ、計36名の歌人の肖像が描かれていましたが、1919年(大正8年)に各歌人ごとに切り離され、掛軸装に改められました。本絵巻はこの三十六歌仙の肖像画にその代表歌と略歴を添え、巻物形式としたものです。上巻・下巻ともに18名の歌人を収録しています。下巻巻頭には和歌の神とされる住吉明神(住吉大社)の景観が描かれた図があり、上巻巻頭にも、現在は失われていますが、玉津姫明神または下鴨神社の景観図があったものと推定されています。

絵巻の所有者(1)

佐竹侯爵家に伝来したこの絵巻は、1917年(大正6年)、東京両国の東京美術倶楽部で佐竹家の所蔵品の売立てが行われ、三十六歌仙絵巻は東京と関西の古美術業者9店が合同で35万円3千円で落札しました。単純には比較できませんが、当時の1万円は21世紀初頭現在の約1億円に相当する価値があります。あまりの高額のため、業者1社では落札できなかったものです。同年、この絵巻を購入したのは実業家の山本唯三郎(1873 - 1927年)でした。山本は松昌洋行という貿易商社を起こし、中国で材木の輸出、石炭の輸入などの事業を行い、後に海運業で財を成した人物です。朝鮮半島へ虎狩りに行ったことから「虎大尽」の異名を取り、数々の武勇談や奇行に満ちた人物でした。

絵巻の所有者(2)

第一次大戦の終戦による経済状況の悪化に伴い、山本は早くも1919年にはこの絵巻を手放さざるをえなくなりました。ところが、時節柄、高価な絵巻を1人で買い取れる収集家はどこにもいなかったそうです。そこでこの絵巻の買い取り先を探していた服部七兵衛、土橋嘉兵衛らの古美術商は、当時、茶人・美術品コレクターとして高名だった、実業家益田孝(号:鈍翁)のところへ相談に行きました。大コレクターとして知られた益田もさすがにこの絵巻を一人で買い取ることはできず、彼の決断で、絵巻は歌仙一人ごとに分割して譲渡することとなりました。益田は実業家で茶人の高橋義雄(号:箒庵)、同じく実業家で茶人の野崎廣太(号:幻庵)を世話人とし、絵巻物の複製などで名高い美術研究家の田中親美を相談役として、三十六歌仙絵巻を37枚(下巻冒頭の住吉明神図を含む)に分割し、くじ引きで希望者に譲渡することとしました。

絵巻の所有者(3)

抽選会は1919年12月20日、東京の御殿山(現・品川区北品川)にあった益田の自邸で行われました。この抽選会が行われた建物は「応挙館」と呼ばれ、後に東京国立博物館の構内に移築されて現存しています。抽選会には益田自身も参加し、また、旧所蔵者の山本唯三郎にも1枚が譲渡されることになりました。益田は、三十六歌仙の中でも最も人気が高く、最高値の4万円が付けられていた「斎宮女御」の入手をねらっていました。通説では、くじ引きの結果、益田にはもっとも人気のない「僧侶」の絵が当たってしまい、すっかり不機嫌になってしまったそうです。それで、「斎宮女御」のくじを引き当てた人物が「自分の引き当てた絵と交換しましょう」と益田に提案し、益田は「斎宮女御」を入手して満足そうであったといわれています。もっとも、翌12月21日付け「東京朝日新聞」でこの絵巻売却の件が報道されたのを見ると、益田が最初に引き当てたのは僧侶像ではなく「源順像」だったことになっていて、細かい点についての真相は不明です。

絵巻の所有者(4)

これら37分割された歌仙像は、その後も社会経済状況の変化、第二次大戦終了後の社会の混乱等により、次々と所有者が変わり、公立・私立の博物館・美術館の所蔵となっているものも多くあります。1984年11月3日、NHKテレビで、三十六歌仙絵巻の分割とその後の流転をテーマにしたドキュメンタリー番組「絵巻切断」が放送され、関連書籍が発行されたことにより、この件はさらなる注目を集めることとなりました。1986年には当時、東京・赤坂にあったサントリー美術館で「開館25周年記念展 三十六歌仙絵」が開催され、佐竹本三十六歌仙絵37点のうち、20点が出品されました。

技法・寸法

紙本著色。元は巻子装で上下2巻からなっていましたが、上述のように1919年、上巻は18枚、下巻は19枚に分割され、計37幅の掛幅装に改装されています。寸法は縦が約36センチメートル、横は各幅によって差があり一定しませんが、60~80センチメートル前後です。

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